栗生沢帰省
2012年08月29日
8月13日(月)
明日の早朝に、墓参りがあるので、その前日から入村。実家の兄夫婦とお袋に挨拶をし、早速に哲治くんの自宅へ。今年から急接近だ。留守だったのでアスパラガス畑まで彼を探しに行くと全身汗だくとなりながら採集している彼がいた。彼は子供の頃から働き者なのだ。畑から彼を拉致し食卓へ。ゼンマイ3皿とイワナ5匹で夕食の腹を満たした後、お袋と兄の待つ実家へ、兄の長男と姉の次男も交えて深夜まで酒を酌み交わした一夜となった。
8月14日(火)
朝から小雨模様。雨脚の弱くなるのを待って墓参り。時刻は朝の8時。この地区独特の早朝からの墓参りなのだ。どの墓標、墓石を見ても、湯田、湯田、湯田、湯田。垣間に、相原の文字が見える。お墓の久方ぶりの静寂感と線香の匂いに、感無量。ウーン good です。俺が知っている村人の、おおよそ半数が墓の下。心の中で「南無阿弥陀仏」と唱えながらあいさつがわりの合掌。ひととおり、お参りがすんで帰宅。
午後は村の中の旧家めぐり。昔と変わらぬ家々を写真に納めた。次に3例の写真を披露するが、誰の家か「わかった!」ら偉い。兄に尋ねると今日までの村の状況は
廃家が8軒、空家10軒、1人住まいが9軒もあり、廃村に向かって確実に進んでいると言う。農業で生計が立てられなくなってしまった今日、後継者は無く、若者は村を捨て、残るは老人、高齢者ばかり。仕方が無いか。
8月15日(水)
朝10時、太鼓の音で、この村自慢の「三匹獅子」が村の広場で披露される。村人と帰省した人達との懐かしさを埋めあう時空間だ。ここでちょっとした変化が。奉納する「獅子舞」が披露する「獅子舞」になっていた。見る人を大切にしようとする意図を感じる。嬉しい限りだ。ご祝儀で、その心意気に応え感謝の意を表してきた。
がんばれ!!村に残った貴重な若者たちよ。
午後は河原に行って魚取り、夜は、盆踊りと思っていたが、but
河原では蜂に刺され、病院へ、夜は盆踊りが無い。
トホホホで、一日繰り上げ、この夜、村を後にした。
2012年06月07日
2011年06月16日
2009年04月06日
簡略化が進む葬式は年々画一化しているが、田島地方では、喪主は依然、かみしも・はかまを着用している。数年前までは額に白の三角紙をつけていたのだが…。そうそう、このへんでは葬式のことを「ジャンボ」と呼ぶんだ。今回は兄嫁の父親のジャンボだった。享年88才
ニッカン(納棺)は、生豆腐を食し、死者には手甲、脚絆、杖、六文銭(60円)、頭蛇袋を、左前に白の着物を着せるという習慣は、今回は立ち会えなかったがおそらく、今でも行われているはず。考え方として葬式は縁起をかつぐため在来のしきたりに目立つ変化はあまり好まれないからだ。
告別式には、チョット戸惑ってしまった。参列者には「きかせ」と「ひら」があり、受付で「きかせ」は名前が掲示されていた。自分の名前を見つけ「きかせ」ですと言い香典を出す。すぐに親族が待つ式場へ、式の始まる前に線香をあげ親族へ弔の挨拶をする。いったん式場を出て、しばらく式が始まるまで外で待つ。この間旧来、遠来の親交が葬式で引き合わされ、しばしの談笑タイム。式の始まりは、死者との近い順から名前を呼ばれ、順々に着席していくというもの。一通り縁者の着席が終えると、後は順不同に入場、着席し、式が開始された。
4月3日、依然、奥会津は雪景色、山並みの稜線は灰色で描かれモノトーンの世界。だが、春は間近に感じる。
※死後の世界は、「無いより有ったほうがいい、なぜなら、その方が都合がいいし、気持ちも癒されるから」と考えている。自分の感ずるままに。
2008年11月11日
11月4日あまりにも天気が良くて爽快な秋空が、お袋とのドライブを誘った。仕事を中止して、お昼頃、出発。塩原を抜けたあたりから車のバーッテリーに異変が、走行には別段影響がないだろうとそのまま故郷路へ、三依〜横山あたりにさしかかったところでアラーム音が、ヤバイと思いながらも、そのまま走行。県境の山王トンネルでライトを付けた瞬間、アラーム音がけたたましく鳴り出した。アクセルを踏んでも出力が弱い。たまたま下り道だったか良かったもの、そのまま道まかせに走行、トンネルを無事抜けてライトを消したが、すでにエンジン出力は無くなっていた。しばらくその状態で道の駅まで、さすがにここで走行を止めようと思いハンドルを道の駅に切ったとたんエンジン停止。しかし慣性でそのまま駐車場へ無事駐車。「まぁ、こんなこともあろうよ」ってな感じでそこで一服。周囲を見ると紺碧の青空と雄大な紅葉に圧倒され、感激。一杯の蕎麦を食べ、タクシーを呼んで栗生沢の実家へ。誰もいない。迎えは夜になるみたいだから今日はゆっくり村を散策しようと、「せっかく」を有意義に味わった。村の中を歩くも人っ子一人見受けられない。ただシーンと静まりかえっている。稲刈りも終わり、ただ冬の到来を待つだけの深まりゆく秋のつかの間。聞こえるのは「シーン」という音だけ。本当にシーンという音はあるんだなぁと実感する。一通り村を回りながら、少々風情の変わったところを見て過去の幼少年期を懐古する。自分だけの持つ特別な想いに郷里愛がひたされる。家に戻るとお袋が畑仕事から帰っていた。畑の土手に座りながら長話。これがまた良い。お袋独特のイントネーションと言い回しに気持ちが安らぎ癒される。もっともこの噺調子で育ったのだから当たり前か。夜、兄貴が帰宅。久しぶりの兄弟話しに花が咲いたものだ。今年一番の幸福なひとときだったような日でした。車の故障に感謝です。
2008年09月24日
毎年の自己慣習としている9月23日のお彼岸。実家「栗生沢」の親父の墓参り。この地区はお彼岸の墓参という習慣が無い。今年は娘二人と孫一人と一緒に。途中、兄貴がやっている「リンゴ園」に立ち寄り兄貴の嫁さんとしばらく談笑後墓参りの前に大内宿へそば食べに。しかし、道路は大混雑。村の入り口で、立ち往生。あきらめてUターン。大好きな親父が眠る墓へと直行した。 一年間の報告と自分の心の洗浄に。黙とうの静寂感が、心を満たす。 しかし、可愛いかな母親が傍らで、処理の早さを求めてくる。墓参りの意味、感受、文化のソフトは全くといって無い母親。もっとも、この地区の人、全体に言えるのだが全てが慣習化され行事の形骸のみと成されている、全てがだ。というのは行事の有り様に何ら疑問を持つ術が無く、強制的に、且つ義務的に受け入れさせられているという実体だ。村人全員といっても過言ではない。死は厳然と受け止め、何の意味を持たせず、ただ時間だけが経過していく。村は恐ろしいほどの静寂感を持ったライブ感の無い村そのものだ。もっとも、そんな時間が全く止まっている村「栗生沢」を私は大好きなのだ。そして、かつて、有った数々の行事の復活と再興を願っている自分がそこに出てきている。